真っ赤に輝くランドセルにキラキラ光るキーホルダー

小学校生活6年間を共にするランドセル。
昔は今みたいにいろんな色やデザインもなく、ほとんどの小学校では男子は黒。女子は赤。とシンプルでした。
そのため、みんな各々お気に入りのキーホルダーをさげたりしていました。

私はキーホルダー多くつけているタイプで、よくロックも閉め忘れたり、わざと閉めなかったりして、パカパカとランドセルの蓋が歩いたり走ったりの度に揺れている小学生でした。

陽気なタイプなのもあり、よく自分で歌を作ったりしていたのですが、その中にランドセルの歌もありました。
歌詞はこうです。「真っ赤に輝くランドセルにキラキラ光るキーホルダー」今でもなぜか時々メロディーを思い出し、口ずさんだりする時もあります。

私は小学生の頃に猫を飼っていたのですが、よく猫が爪研ぎをしていました。
その当時の私はそんな姿にさえ何かを感じ、影響をうけあろう事か自分のランドセルの裏側、背中にあたる部分のクッション材の所を自分の爪でガリガリとしていました。

そのため白いコーティングが見るも無惨な状態になり、スポンジの色がむき出し状態になっていました。
しかし、そんなボロボロのランドセルでも、なぜだか愛着があり、私は自分のランドセルがとても好きでした。

でも、もし今の自分が当時の自分にアドバイス出来るのなら、もう少しランドセルを丁寧にあつかってあげなよ。と声をかけると思います。
今となってはとてもいい思い出です。

最近は男の子の女の子も色んなランドセルが出ているみたいですね。

ランドセル 人気 男の子などで検索してみると、色んなカラーのランドセルが目白押し。

私もこんな風に色んなランドセルを選んでみたかったです(笑)

小学生だからできたこと

小学校といえば部活もなくいま考えればとても自由な時期で楽しかったことはたくさんあります。
引用元:口臭サプリ 選び方

その中でも特に印象に残っている楽しかったことは小学6年生のとき用のない時に入ってはいけない体育館倉庫で友だちと遊んでいたことです。
体育館倉庫の中で遊ぶなどもちろん禁止でしたが休み時間一時期ずっと遊んでいました。

なかには跳び箱やマット、それもふかふかタイプのマットなどとにかくふだん遊び道具には使えないものかたくさんあって棚の1番上からマットに向かって飛び込んだりとにかく弾けていました。

途中怪我したりもしたけど遊んでいるのがバレちゃいけないなら先生や親にも言えず自力で治したりいま考えると必死だったと思います(笑)でもけっきょくいつも通り遊んでいたある日授業の準備をしにした先生にばれてこっぴどく怒られました。

でも反抗期で部活もなどもない連帯責任や罰などもなかった小学生、怒られるのすは楽しんでいた時期だったのでいまになっては懐かしい思い出です。

書初めコンクール金賞!

小学生の頃私が唯一やっていた習い事がお習字でした。とは言っても近くの公民館みたいなところでボランティアの方が教えてくれるといった感じの気楽なお習字教室でした。墨をすった時の匂いとかシンと静まり返った中で集中して字を書く、そして先生が朱色の筆で直してくれるのが大好きでした。
小学生の頃の冬休みの宿題と言えば書初めです。私の母も習字が得意だったので書初めのお手本を書いてくれたり教えてくれました。そして3年生の時には小学校内の書初めコンクールで金賞をもらいました。すごく嬉しい反面というか「ヤバイ!」と青ざめたのを覚えています。書初めを何枚か書いた中から一番上手にかけたものに名前を書いて提出したのですが、母の書いたお手本を提出してしまったようなのです。自分でも我ながら上手く書けたな~と感心していたのですが・・
決して悪気はなかったのですが、正直に言うことも出来ずとにかく居心地の悪い日々を過ごしたことを覚えています。三人兄弟で母も色々と忙しくて書初めの金賞もさらりと流してくれたので、ばれてないと思っていました。
自分が母親になった今は「あれは絶対にばれていたな~あえて何も言わないでいてくれたんだな」と思います。

おススメできない検査

 小学生の時の私の友人の話です。少し汚い話ですが検便の話です。今から50年余り前の話で、当時の検便というのはマッチ箱のような箱に、実際に自分が出した便を少し入れて持って行くという方法で提出していました。皆それぞれが前夜か当日の朝に出した物を持って行くのでした。
 これは私の男友達から聞いた話ですが、その友人は検便の時期に便秘になっていたそうです。ところが自分の検便の入った容器を持っているのです。おかしいので聞いてみると、何と彼の持っていた便は家族の誰かのものだというのです。便秘なので自分の便を持ってくることはできません。やむなく彼は家族の出した便を拝借してマッチ箱の容器に入れて持ってきたのです。野球の「代打」ならぬ「代便」です。検査の対象は彼ではなく、彼の家族の検査だったのです。実際の検査結果は聞いていませんが、特に話さなかったのをみると異状はなかったのでしょう。確かに便を見ても誰が出した便かは分かりません。友人は考えた挙句にそういう手段を取ったのでしょう。今でも思い出すと吹き出してしまいます。

兄、ミイラ男になる

今では笑い話になる話ですが、当時はすごくびっくりした話です。兄が小学6年生で、私が2年生だったときのことです。学校で兄達、卒業生を送る会がありました。最後に卒業生と1年生が手を繋いで他の在校生にみおくられながら体育館でていくのですが、1年生の数が足りないので、背の低い2年生にもお鉢が回ってきました。私も背が低かったので借り出されていました。そこで、何故か1年生達が嫌がって手を繋がたがらない6年生がいました。私は友達とその様子を覗きみていたのですが、そこには顔半分くらいに包帯を巻いた6年生がいました。まるでミイラ男です。『あの人とは手を繋ぎたくないな。』と思って見ていたら、友達が、『あれ、あんたのお兄ちゃんじゃない?』と言いました。よく見ると、確かに兄でした。しかし、朝、家を出た時には包帯なんて巻いていませんでした。そんな時、兄が『たぶんこの場に妹がいるはずだから妹と手を繋ぐ』と先生に言いました。私はこの人の妹と思われたくなくて、咄嗟に友達達の影に隠れましたが、すぐに見つかり兄と一緒に退場させらせてしまいました。兄の包帯が目立ち周りがざわつく中での退場です。一緒にいる私もものすごく目立っていました。体育館から出た後、兄に何があったのか聞きました。登校中、ふざけすぎてこけて怪我をしたそうです。私たちは兄弟ですが、男女で登校班が違います。何故、顔面を怪我するのか、包帯ぐるぐる巻きになるくらいの怪我になるのか意味がわかりませんでした。今でもよくわかりません。むしろ、こんなことがあったことを兄は覚えていません。あの後しばらくはミイラの妹と周りから呼ばれて、私だけ損をした気分です。今では当時のことを覚えている人の間では笑い話になっています。この後も兄の怪我で驚くことがいろいろありましたが、この小学生のときの怪我が一番衝撃的でした。

おじさんの傘

私のいたクラスにはハーフの子が1人いました。その子は日本語は少しだけ苦手な感じでしたが文章とかは読めていました。そんなある日、国語のテストがありましてその子が書いた答えが面白かったみたいで、先生が笑いながら発表していました。その問題文は『おじいさんは雨が降っていたので傘をさしていました。どんな気持ちでさしていましたか?』という問題でした。私はなんと回答したのかは、覚えていませんが、その友達の回答は面白すぎていまだに覚えています。その友達の回答というのは『おじいさんは傘をさして痛かったでしょう』という回答でした。それを聞いた私達は面白くて笑いが止まらなくなったのを覚えています。その友達は『さした』というのを違う意味で捉えてしまったんだなと思いました。確かにその時は平仮名で書かれていましたし、日本語があまり得意ではない子には理解するのが大変だったのかなと思いました。先生も大爆笑していたぐらいだったので、その友達のおかげでシーンとしていたのが笑いに包まれました。

いい時代でした

面白かったかどうかはさておき、私の小学校時代と言うと体罰なんて当たり前の時代でした。何かあるとすぐにビンタが飛んできました。特にビンタはビンタでも両面ビンタ2連発を食らわす恐怖の先生がいました。その先生は学年担任でもなんでもない生徒にもおかまいなしにビンタを食らわします。見た目からのあだ名はタワシゴリラ。この生徒には全校生徒がビビってました。私の学校は月に1-2回全校朝礼と言うものがありました。1時間目に運動場に全校生徒が集まり先生の話を聞くのですが、これが正直言ってつまんない。夏場なんて日射病(私の時代は熱中症の事をこう呼んでました)でバタバタ生徒が倒れていました。ある全校朝礼の時、小3だった私はあまりにもつまんなかったので周りの友達とペチャクチャ喋りながら拾った小石をぶつけて遊んでいました。それが面白くって夢中で石を投げていたのですが、突然周りの友達がピタっと辞めてしまいました。私は何にも気づかずにまだ石を投げていると、突然背後からタワシゴリラにつままれ、ビクッとしたのも束の間にいきなり恐怖の両面ビンタ2連発をかまされました。痛すぎて耳が熱くなりジーンとします。タワシゴリラはビンタを食らわすと無言で立ち去っていきました。周りの友達からは哀れな目で見られシュンとしたのを今でも思い出します。本当に今では考えられない青春の1ページです。

弟にはまいりました。

私が小学五年生、弟が一年生の時の話です。
近所に大きなショッピングセンターが出来て、母と私達子供で行きました。
普段は小さなスーパ―か市場にしか行った事の無かった私達姉弟はあっちをうろうろ、こっちをうろうろ、見る物すべてが珍しくはしゃいでいました。
そうこうしているうちに、弟の姿が見当たらなくなり母とあちこち探しましたがみつかりません。
サービスカウンターで迷子の館内放送をしていただけると、ガードマンさんから聞き向かいました。
サービスカウンターに行くと弟が椅子に座っています。
母が、迷子で保護されてるわ良かったと言い、声をかけると弟の第一声「お母さんも姉ちゃんもどこ行ってたんよ。心配で僕、お母さんと姉ちゃんが迷子になりました
。探してあげてくださいって頼みに来たんやで」横で店員さんが笑いながら「僕ちゃんがお母さんと姉ちゃんが迷子で泣いているかもしれないから迷子の放送してくださいって来ました」
母も大爆笑でした。店員さんが「僕、お母さんとお姉ちゃん見つかって良かったね」と言うと弟「お世話になりました。家帰ったら二人を怒っておきます」
家に帰っても父や祖母に「今日、お母さんと姉ちゃん迷子になって参ったでと言ってました。
今でも我が家の笑い話です。

給食の時間のあるあるです。

小学校の給食の時間の話です。
私が当時通っていた小学校は給食の時間は机を動かして、班に分かれて給食を食べます。その時に絶対に1年に1度は遭遇したのは、給食を食べている最中にくしゃみをして、ごはんつぶを飛ばす子です。はっくしょん!とくしゃみをして、自分たちのテリトリーにご飯粒が飛んでくる前にみんな慌てて給食を守ります。くしゃみをしたときに照れくさそうに笑う子もいれば、みんなが離れていくのでショックで半泣きになっている子もいました。ふとその時のことを思い出し、懐かしいなと思いました。
あと、給食をいえば私が通っていた小学校では、カレーライス、やきそば、揚げパンが人気メニューでいつも売り切れでした。ビンに入った牛乳は嫌いな子が多く、最後まで頑張って飲んでいた子がたくさんいたことも印象的でした。そして、なんといっても牛乳といえば、こぼして拭いた雑巾がとても臭かったことです。教室内に牛乳を拭いたぞうきんを干したりしていたので教室内が牛乳臭かったことも給食あるあるかなと思いました。

漫画のような出来事

少し汚い話でもありますが、小学生の頃なぜかお茶を口いっぱいに含んで
飲み込まずに休み時間を過ごしてたことがありました。
何がそんなに面白かったのかはわかりませんが、本当に長い時間飲み込まずにいました。

忘れもしない夏のお昼休み、相変わらずお茶を口いっぱいに含んでいると、クラスでも
大柄な、言葉は悪いですがゴリラみたいな女の子が私に近寄ってきました。
私は何をするのかとその子をジッと観察しているとおもむろにその子は私に手を伸ばして来て、
止める間もなく、思いっきり両側からほっぺたを全力で叩くように押してきました。
あとはもう、ご想像通り、それはそれは綺麗にまるで漫画のようにその子の顔に一直線に
お茶が直撃しました・・・。

私も危険を察知していたら咄嗟に飲み込めたんですが、もちろんお茶を口に含んでいる事は
みんなが知っていると思ってましたから呑気に構えてしまいました。
その子はその子で私が空気を含んでいると思っていたそうです。
その子には本当に悪い事をしてしまいましたが、今でも忘れられない漫画ような出来事でした。